◆東海道はなぜ五十三次なのか◆


江戸時代に、東海道は日本橋から京都の間に五十三の宿場町が設けられ、
これを東海道五十三次と言った。

狂歌にすぐれた大田南畝(1749〜1823
)は、東海道五十三次の起こりについて、
【宋の黄山の詩に、鬼門関外遠きをいうなかれ五十三駅これ皇州、とあるのによった】
と言っている。

この詩自体は、仏教の教典【華厳経】に由来しているのだが、
それは、昔、善財童子という者が五十三人の善知識(賢者
)を訪ねて教えを乞うたという。

この事は修行の段階を表し、最後に
悟りの境地にたどり着く説法。
中国の五十三駅も、東海道五十三次も、この五十三という数字を取ったもの。


■TOP■

inserted by FC2 system